日本赤十字社は、国際赤十字運動の日本支部である慈善団体である。日本赤十字社は災害医療に携わっており、特に関東大震災(1923年)、阪神大震災(1995年)、仙台市宮城野区地震(2011年)など、日本で頻発する地震に対する災害救援活動を行っている。赤十字は約100の病院と国立血液銀行を運営し、看護師を養成している。
日本赤十字社には独自の表彰制度があり、功労勲章と会員章がある。
創作
日本赤十字社の歴史は、1877年に佐野常民と小牛譲の2人の国会議員が西郷隆盛の乱の負傷者を看護するために「慈善協会」を設立したことに始まる。「慈善協会」はフランスの赤十字をモデルにしていた。佐野は1867年にパリを訪れ、そこで医療慈善のアイデアを借用した。政府は当初、このような協会の要請を拒否した。その理由のひとつは、協会の定款のひとつが政府軍兵士と反乱軍兵士の両方を助けるというものであったことと、その協会がキリスト教組織と結びついているのではないかと疑ったからである。国によっては、赤十字は宗教的に中立であるにもかかわらず、キリスト教のシンボルとみなされており、当時の日本人はそれを非常に否定的にとらえていた。しかし、佐野と鴎友は皇室に直訴し、当時の日本にとって、かつての敵を助けるというアイデアは魅力的に映ったため、会の設立を許可し、キリスト教とのつながりが疑われる赤十字のエンブレムを使用することを許可した。
1886年、日本は「捕虜の状態の改善に関する第一次ジュネーヴ条約」に調印した。翌年、「博愛協会」が赤十字の日本部門の核となった。新組織が最初に取り組んだのは、1888年夏の磐梯火山の噴火による被害への対応だった。日本赤十字社は皇室と国家から財政的支援を受け、その結果、当時入手可能な最新の器具や医薬品に事欠くことなく、急速に発展した。ヨーロッパの看護職は日本人にとって全く新しく、文化的にも問題があったため、これは容易なことではなかった。女性の仕事」は家庭の中だけで行われ、家族だけに向けられるべきだという認識があったため、日本には女性救済会(宗教と世俗の両方)の伝統がなく、女性が家族以外の人々、特に男性の世話をするという考えもまったくなかった。しかし、こうした認識は覆され、1890年には東京赤十字病院が看護婦の養成を開始し、1900年代初頭には日本赤十字社の会員数は約90万人となり、世界最大の赤十字社となった。
現在の日本赤十字社は、赤十字条例によって設立された。年会費を払えば誰でも会員になることができた。赤十字の最高統治機関は223名からなる代表評議会で、任期は3年で、組織のメンバーから選出される。代表者会議は年2回開催され、会長、副会長2名、理事61名、監事3名(いずれも任期3年)を選出し、規約を変更することができ、各ユニットの予算と活動の計画を担当する。理事は12名以内の常任理事会を構成し、毎月1回会合を開き、代表理事会がその機能を委任することができる。皇室との関係から、日本赤十字には伝統的に皇后が務める名誉総裁と、皇太子や皇太子妃が務める名誉副総裁がいる。
日本赤十字社は東京に本部を置き、47都道府県に支部を置いている。2014年現在、日本赤十字社は104の病院、26の看護研修センター、234の献血センター、29の社会福祉センターを運営し、ボランティアを除く65,000人を雇用し給与を支払っている。